東京地方裁判所 昭和36年(行)56号 判決 1965年6月22日
原告 横浜勤労者音楽協議会
被告 国
訴訟代理人 真鍋薫 外四名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
(当事者の求める裁判)
一、原告の申立て
1、横浜中税務署長が原告に対し
(一) 昭和三一年八月一六日なした源泉徴収所得税額金一九四、二〇〇円、源泉徴収加算税額金四八、二五〇円の納税告知処分(以下、本件第一告知処分という。)
(二) 同日なした源泉徴収所得税額金三四、四〇〇円、源泉徴収加算税額金八、五〇〇円の納税告知処分(以下、本件第二告知処分という。)
(三) 同年九月二六日なした源泉徴収所得税額金一一六、二〇〇円、源泉徴収加算税額金二八、七五〇円の納税告知処分(以下、本件第三告知処分という。)
はいずれも無効であることを確認する。
2、被告は原告に対し金一六九、八六四円ならびに昭和三四年一〇月二七日以降右支払ずみに至るまで右金員のうち金一六九、〇〇〇円に対しては金一〇〇円につき一日金三銭の割合による金員および金八六四円に対しては年五分の割合による金員を支払え。
3、訴訟費用は被告の負担とする。
なお、2項について仮執行の宣言を求める。
二、被告の申立て
主文と同旨。
(当事者の主張)
第一、原告の主張
一、原告は、横浜市およびその周辺に居住する勤労者、学生を中心とする音楽愛好家をもつて組織する団体であつて、健康で文化的な音楽舞踊を自主的に上演して観賞し、会員の情操と文化的教養を高め、音楽サークル活動の発展をはかり、日本文化の創造と育成をはかることを目的とするものである。原告の組織と運営については、準拠すべき規約が存在し、その規約に基づき最高決議機関たる総会があり、代表者および役員が選出される。したがつて、原告は民事訴訟法第四六条に規定する「法人にあらざる社団にして代表者の定めあるもの」である。
二、横浜中税務署長は、原告に対し、
(一) 原告が昭和三〇年一月から昭和三一年二月までに芸能人に対して合計金一、九四二、〇〇〇円の報酬を支払いながら所得税法第四二条第二項の規定による所得税の源泉徴収をしてこれを政府に納付しなかつたものとして、昭和三一年八月一六日本件第一告知処分を、
(二) 原告が同年三月芸能人に支払つた合計金三四四、〇〇〇円の報酬につき、右同様の理由により、同年八月一六日本件第二告知処分を、
(三) 原告が昭和三〇年六月から昭和三一年四月までに芸能人に対し合計金一、一六二、〇〇〇円の報酬を支払つたものとして、前同様の理由により、同年九月二六日本件第三告知処分を、
それぞれなした。
そして、横浜中税務署長は、右各告知処分に基づき、昭和三四年一〇月二六日原告が事務局長菊川郁夫名義で横浜銀行本店に対して有する普通預金債権金一六九、八六四円を差押え、同年一一月一六日その支払を受けて前記源泉徴収所得税および源泉徴収加算税の一部に充当してしまつた(以下、本件滞納処分という。)。
三、しかしながら、本件各告知処分および本件滞納処分は左の理由により無効である。
(一) 所得税法第四二条第二項は、「この法律の施行地において、映画及び演劇の俳優、映画監督、楽士、・・・・その他命令で定めるこれらに準ずる者で居住者であるものに対し、報酬若しくは料金(給与所得に属するものを除く。)の支払をなす者・・・・は、その支払をなす際・・・・その支払うべき報酬、料金・・・・の金額に対し一〇〇分の一〇の税率を適用して計算した税額の所得税を徴収し、その徴収の日の属する月の翌月一〇日までに、これを政府に納付しなければならない。」と規定して、右「報酬等の支払をなす者」に所得税を徴収し、これを政府に納付する義務(いわゆる源泉徴収義務)を負わせているが、かかる源泉徴収義務を負う「報酬等の支払をなす者」とは人格を有するもの、すなわち個人または法人を指すことは明らかである。それゆえに、原告のようないわゆる人格なき社団を源泉徴収義務者等とするため、昭和三二年三月三一日法律第二七号は、所得税法第一条に第六項を追加し、「法人でない社団または財団で代表者または管理人の定めのあるもの」は源泉徴収等については「これを法人とみなす」旨を規定したのである。したがつて、右改正前には、法人でない社団または財団に所得税の源泉徴収義務を課する旨を定めた規定はなかつたのであるから、法人でない社団または財団が源泉徴収義務を負わないことは明らかである。
しかして、原告は個人でも法人でもなく、法人でない社団にすぎないから、右所得税法改正前においては、原告が所得税法第四二条第二項の源泉徴収義務者にあたらないことは明白である。したがつて、本件各告知処分は法律上明白に源泉徴収義務のないものを源泉徴収義務者と誤認してなされたものであるから無効である。
(二) かりに本件各告知処分当時原告に源泉徴収義務のないことが明白でなかつたとしても、前記昭和三二年法律第二七号で所得税法が改正されたことによつて、改正前には原告のような法人格のないものには源泉徴収義務のないことが明らかにされたのである。したがつて、右所得税法改正以後は、本件各告知処分に法律上明白に源泉徴収義務のない原告を源泉徴収義務者と誤認したかしのあることが明らかとなつたのであるから、これに基づいて滞納処分を行なうべきではなかつたのに、横浜中税務署長はあえて本件滞納処分に及んだ。よつて、本件滞納処分は無効である。
(三) 叙上のとおり、本件各告知処分および本件滞納処分は法律上明白に源泉徴収義務のないものに対してなされたものとして無効であるから、原告は被告に対し本件各告知処分の無効であることの確認ならびに本件滞納処分により徴収された金一六九、八六四円の還付および差押処分の日の翌日である昭和三四年一〇月二七日から右支払ずみに至るまで右金員のうち金一六九、〇〇〇円に対しては金一〇〇円につき一日三銭の割合による還付加算金の、残額金八六四円に対しては年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
四、さらに本件第三告知処分は次の理由により一部無効である。
(一) すなわち、源泉徴収所得税決定通知書によると、本件第一告知処分は原告が昭和三〇年六月に芸能人に対し金一五〇、〇〇〇円の報酬を支払つたものとしてこれに対する源泉徴収所得税金一五、〇〇〇円および源泉徴収加算税金三、七五〇円の納付を命じ、また、本件第三告知処分も原告が同月芸能人に対し金一五〇、〇〇〇円の報酬を支払つたものとしてこれに対する源泉徴収所得税金一五、〇〇〇円および源泉徴収加算税金三、七五〇円の納付を命じたことが明らかである。しかしながら、原告が昭和三〇年六月中に芸能人に支払つた報酬は金一五〇、〇〇〇円だけであるから、本件第三告知処分のうち、原告が同月芸能人に対し金一五〇、〇〇〇円の報酬を支払つたものとして、これに対する源泉徴収所得税金一五、〇〇〇円および源泉徴収加算税金三、七五〇円の納付を命じた部分は二重の処分であることが明白であり、無効である。
(二) よつて、前項の請求が理由のないものであるとしても、原告は被告に対し本件第三告知処分のうち右二重課税にかかる部分が無効であることの確認ならびに本件滞納処分によつて徴収された金一六九、八六四円のうち右二重課税にかかる合計金一八、七五〇円の還付および昭和三四年一〇月二七日から右支払ずみに至るまで右金員のうち金一八、〇〇〇円に対しては金一〇〇円につき一日三銭の割合による還付加算金の、残額金七五〇円に対しては年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
第二、被告の答弁および主張
一、原告の主張第一項の事実中、原告が横浜市およびその周辺に居住する音楽愛好家をもつて組織する団体であること、その運営に関する規約が存し、これに基づいて代表者が選出されていること、したがつて、原告が民事訴訟法第四六条による当事者能力を有することは認めるが、その余は知らない。同第二項の事実は認める。
二、原告の主張第三項の主張は争う。
(一) 原告も自認するとおり、原告は「法人にあらざる社団にして代表者の定めあるもの」である。しかして、かかる者は、もちろん実定法上法人格を賦与されてはいないけれども、それが社会生活上活動している以上、その者に対し社会生活の単位としての法律的地位を認めざるを得ない。けだし、これを否定することは社会活動の真実に目をおおい、その結果第三者との法律関係の安定性を害することになるからである。したがつて、このような実態を直視して、「法人にあらざる社団にして代表者の定めあるもの」に源泉徴収義務を課することは何ら違法ではない。
(二) しかして、法人でない社団で代表者の定めのあるものが芸能人に対して報酬を支払う場合には、その社団に所得税法第四二条第二項に基づく源泉徴収義務があるという解釈は、昭和三二年法律第二七号による所得税法の改正前から確立していたものであつて、右改正によつて新たに源泉徴収義務を課したものではない。
すなわち、所得税法第四二条第二項によると、芸能人に対して支払う報酬については、その支払者が源泉徴収義務者となつているが、実際にその報酬についての所得税を負担するものは、支払者ではなく、その報酬の支払を受ける芸能人であるから、本来その報酬の支払者がどのような態様のものであるかは税負担の面においては関係なく、支払者は単に合理的な徴税方法の一環として源泉徴収義務を課せられているにすぎない。したがつて、芸能人に対して現実に報酬の支払をなす者が、個人であるか、法人であるか、国であるか、地方公共団体であるかはもはや関係なく、それがいかなる態様のものであろうと源泉徴収義務があるのであつて、法人でない社団であつても、それが一つの社会的な実体としてそのような芸能人に対する報酬の支払者としての地位に該当するならば、その法人でない社団を個人とみるか、法人とみるかにかかわりなく、いずれにしても所得税法第四二条第二項の規定からみて当然源泉徴収義務を負うのである。
そして、昭和三二年法律第二八号による法人税法の改正により、法人でない社団または財団で代表者または管理人の定めがあり、かつ収益事業を営むものについては、これを法人とみなして法人税が課税されることになつたのを機会に、所得税法においても、昭和三二年法律第二七号により、前記改正が行なわれたのであるが、所得税法の右改正にかかわりなく、その改正前から、法人でない社団等にそれが芸能人に対して支払う報酬について源泉徴収義務があることは前述のとおり明白であつたのであるから、その意味において、所得税法の右改正は、規定の整備をはかるという宣言的な意義を有するにすぎないのである。(もつとも、従来弁護士等に対する報酬の支払については、法人が支払うときに限り源泉徴収義務があるものとされていたため、法人でない社団等が弁護士等に対し報酬の支払をする場合の法律関係について規定の不備があつたことになるから、その限りにおいて、所得税法の右改正によつて、法人でない社団等は、弁護士等に対する報酬の支払について新たに源泉徴収義務を課せられたことになる。)
(三) ところで、原告は、その構成員たる会員があり、一定の規約を有し、意思決定、業務遂行はこれに基づいてなされるのであるから、優に社会生活の単位としての法律的地位を確立していること法人格を賦与された者と何らえらぶところがない。したがつて、かような実態を直視して、原告が芸能人に報酬の支払をする場合、これに源泉徴収義務を課することは何ら違法ではない。
よつて、本件各告知処分およびこれに基づいてなされた本件滞納処分はいずれも適法、有効である。
三、原告の主張第四項の主張は争う。
横浜中税務署長が本件第一告知処分の対象とした金一五〇、〇〇〇円の報酬は原告が昭和三〇年九月朝吹英一に対して支払つたものであり、本件第三告知処分の対象とした金一五〇、〇〇〇円の報酬は原告が同年六月魚住源二に対して支払つたものである。したがつて、本件第一告知処分に関する源泉徴収所得税決定通知書に、右朝吹英一に対して支払つた報酬金一五〇、〇〇〇円の支払月が昭和三〇年六月と記載されているかどうかは知らないが、かりに原告の主張するように右金一五〇、〇〇〇円の支払月が昭和三〇年六月と記載されているとしても、これをもつて右金一五〇、〇〇〇円に対する納税告知処分が二重の処分であり、無効であるということにはならない。
第三、被告の主張に対する原告の反論
(一) 被告は、法人でない社団で代表者の定めのあるものが芸能人に対して報酬を支払う場合には、その社団に源泉徴収義務があるという解釈は、昭和三二年法律第二七号による所得税法の改正前から確立していたと主張するが、かかる解釈の確立していたことは否認する。国庫主義の立場から徴税目的のため租税法規をいかに解釈するにしても、租税法規を無視し、租税法規から遊離して解釈することは、租税法律主義の建前からいつて許されないところである。
(二) 被告は、また、実際に報酬についての所得税を負担するものは、支払者ではなく、その報酬の支払を受ける芸能人であるから、本来その報酬の支払者がどのような態様のものであるかは税負担の面においては関係なく、支払者は単に合理的な徴税方法の一環として源泉徴収義務を課せられているにすぎないと主張する。しかしながら、実際に所得税を負担するものが支払者ではなく報酬の支払を受ける芸能人であるならば、芸能人が直接に所得税を納付すべきであり、支払者が他人の負担する所得税を源泉徴収して政府に納付するということは決して合理的であるとはいい得ない。そればかりでなく、支払者は延滞税、不納付加算税、重加算税等の行政罰と懲役、罰金等の刑事罰による脅迫により所得税の源泉徴収とその納付を強制され、もし徴収して納付すべき所得税を納付しなかつた場合には国税徴収の例によりその所得税額を徴収されるのであり、それは、「単に合理的な徴税方法の一環として源泉徴収義務を課せられているにすぎない」などといいうるものではないのである。
(三) したがつて、被告の昭和三二年法律第二七号による所得税の改正は規定の整備をはかるという宣言的な意義を有するにすぎないとの主張は、右に述べたところからみて、いい逃れにすぎないものであることが明らかである。
(証拠省略)
理由
一、横浜中税務署長が原告に対し本件各告知処分および本件滞納処分をしたことは当事者間に争いがない。
二、原告は、昭和三二年法律第二七号による所得税法の改正前においては、同法第四二条第二項の規定により所得税の源泉徴収義務を課せられていたものは、人格を有するもの、すなわち個人または法人に限られ、人格を有しないものはかかる源泉徴収義務を負つていなかつたのであるから、法人でない社団である原告に対してなされた本件各告知処分および本件滞納処分は源泉徴収義務のない者を源泉徴収義務者と誤認してなしたものとして無効であると主張するので、この点について判断する。
(一) 日本国憲法は、第三〇条において「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。」と規定するとともに、第八四条において「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」と規定しているが、これは日本国憲法がいわゆる租税法律主義を採用したことを明らかにしたものと解すべきである。したがつて、納税義務者、課税物件の、課税物件の帰属、課税標準、税率等の課税要件についてはもちろんのこと、税徴収の手続も法律またはその委任に基づく政令等によつて明確に定められていることを要するものといわなければならない。そして、租税徴収の手続としては、納税義務者に直接納付させるのが常例ではあるが、税によつては納税義務者以外の第三者をして徴収させ納付させる例もあるのである。本件で問題とされている所得税の源泉徴収制度もその一例である。このように、租税法が納税義務者以外の第三者をして租税を徴収させ納付させる制度をとる場合には、何人がいかなる要件のもとでどのような手続によつて本来の納税義務者から租税を徴収しこれを政府等に納付するのかが、当該租税法またはその委任に基づく政令等に規定されていなければならないことは、日本国憲法の採用する租税法律主義の建前からいつて当然のことである。
(二) ところで、本件において問題となつている所得税法第四二条第二項は、同条項に基づき所得税の源泉徴収義務を負う者について、「この法律の施行地において、映画及び演劇の俳優、映画監督、楽士、………その他命令で定めるこれらに準ずる者で居住者であるものに対し、報酬若しくは料金(給与所得に属するものを除く。)の支払をなす者(弁護士、税理士、公認会計士その他命令で定める者に対し支払をなす者については、法人に限る。)……………」と規定しているが、右規定の文言自体からは、そこにいう「報酬等の支払をなす者」の「者」の中に人格を有するもの、すなわち自然人または法人のほかに人格のないもの、すなわち法人でない社団または財団等が含まれるかどうかは必ずしも明らかではない。しかしながら、わが国においては、私法関係においても、公法関係においても、権利義務の主体たりうるものは、原則として人格者、すなわち自然人または法人にかぎられ、人格を有しないものは、たとえそれが社団としての組織を備え社会的実体として活動していても、社団そのものとしてそれに権利義務の帰属を認めることはできないのである。民事訴訟法第四六条は、法人でない社団または財団で代表者または管理人の定めのあるものに当事者能力を認めているが、この規定は、法人でない社団または財団そのものが実体的な権利義務の帰属主体であることを認める趣旨の規定ではない。人格のない社団の権利義務は、実体的にはその社団構成員全体に総有的に帰属するのである。右のことは、しかしながら、法人でない社団がすべての法律関係において権利義務の主体たりうる地位を否定されなければならないことを意味するものではない。ことに公法関係においては、私法関係と異なる法規制を必要とすることがあるところから、個々の実定法において明文で法人でない社団に特定の公法関係における権利義務の主体たりうる地位を認めることがある。租税法の分野に例をとれば、相続税法第六六条、法人税法第一条第二項、所得税法第一条第七項、国税徴収法第三条、国税通則法第三条等がこれである。
このように、法人でない社団にはわが実定法上当然には人格したがつて権利義務の主体たりうる地位を認められていないのであるが、法人でない社団のこのようなわが実定法上の地位とそれに前述のように日本国憲法が租税法律主義を採用し、その結果課税要件、徴税方法等が法律またはその委任に基づく政令等によつて明確に定めることを要するものとされていることにかんがみると、所得税法第四二条第二項が同条項に基づく源泉徴収義務者について「報酬等の支払をなす者」という表現を用いているにしても、それのみで直ちに法人でない社団が同条項の源泉徴収義務者に含まれるものと即断することはできず、そのためには他にその旨を定めた明文の規定が存するか、または少なくとも所得税法その他関係諸法令の規定の解釈上法人でない社団が右源泉徴収義務者の中に含まれることが明らかに認められることを要するものというべきである。しかるに、所得税法第四二条第二項に基づく源泉徴収義務者の中に法人でない社団が含まれることについては、同法その他関係諸法令の諸規定をつぶさに検討してみても、これを積極的に定めた明文の規定は見当らないし、また、その解釈上法人でない社団が右源泉徴収義務を負つていることを根拠づけるに足りる規定もない。してみると、法人でない社団は、所得税法第四二条第二項に基づく源泉徴収義務者には含まれないと解するのが相当である。
被告は、源泉徴収義務者は所得税の実際の負担者ではなく、単に合理的な徴税方法の一環として源泉徴収義務を課せられているにすぎないから、その者がどのような態様のものであるかは問うところではなく、法人でない社団であつてもそれが一つの社会的な存在として芸能人に対する報酬の支払者たる地位にあるかぎり源泉徴収義務を負うものと解すべきであつて、かかる解釈は昭和三二年法律第二七号による所得税法の改正前から確立していたと主張する。しかしながら、右のような解釈が確立していたことを認めるに足りる証拠はない。のみならず、かりに被告主張のように源泉徴収制度が合理的な徴税方法であり、しかも法人でない社団が現実には一個の社会的な存在として芸能人に対し報酬等の支払をしていて人格を有する個人または法人と何ら異なるところがないにしても、前述のように、法人でない社団はわが実定法上特別の明文の規定のないかぎり権利義務の主体たる地位を認められるに至つていないことおよび租税法律主義の建前から考えれば、これに所得税の源泉徴収義務を課するには特にその旨が明確に規定されていることを要するものと解すべく、かかる規定もないのに、単に被告主張のような理由のみに基づいて、法人でない社団に源泉徴収義務を課することは、立法論と解釈論とを混同するものであり、法人でない社団のわが実定法上の地位に照らしても、また、租税法律主義の建前から考えても、許されないところである。そして、所得税法その他関係諸法令の規定を検討しても、昭和三二年法律第二七号による所得税法の改正前には、法人でない社団が源泉徴収義務を負うことを定めた規定はなかつたのであるから、被告の右主張は失当である。
そうとすると、横浜中税務署長が、法人でない社団は所得税法第四二条第二項に基づく源泉徴収義務を負うことを前提として、法人でない社団であること当事者間に争いのない原告に対しなした本件各告知処分はいずれも違法であることを免れない。しかし、また、右条項にいう源泉徴収義務者すなわち「報酬等の支払をなす者」の「者」の中に法人でない社団が含まれるか否かということは、右にみてきたように、解釈上極めて困難な問題であり、本件各告知処分当時一義的に明白であつたとはいえないから、結局は法人でない社団がそれに含まれないと解釈すべきであるとしても、法人でない社団たる原告を同条項の源泉徴収義務者であると誤認してなされた本件各告知処分のかしは客観的に明白であるとは解することができない。したがつて、結局、本件各告知処分は法人でない社団たる原告を源泉徴収義務者と誤認した点において違法ではあるが、当然無効のものということはできない。
(三) 原告は、かりに本件各告知処分当時原告に源泉徴収義務のないことが客観的に明白でなかつたにしても、昭和三二年法律第二七号による所得税法の一部改正によつて、それ以前は法人でない社団たる原告に源泉徴収義務のなかつたことが明らかにされたのであるから、右改正後は本件各告知処分にかしのあることは明らかになつたのであり、したがつて、右各告知処分に基づいてなされた本件滞納処分は無効であると主張する。なるほど、右所得税法の改正によつて同法第一条第六項に法人でない社団または財団で代表者または管理人の定めのあるものは所得税の源泉徴収による納税義務および源泉徴収義務に関する規定の適用についてはこれを法人とみなす旨の規定が設けられたが、右改正前においては、前説明のとおり法人でない社団に源泉徴収義務があるかないかについては必ずしも明白ではなかつたのであり、したがつて右のような規定が設けられたことは、被告が主張するように、単に規定の整備をはかつたものと解しうる余地もなくはなかつたのであるから、右改正によつて当然にそれ以前には法人でない社団に源泉徴収義務のなかつたことが明らかになつたものということはできない。よつて、原告の右主張も失当である。
(四) 以上のとおりであるから、本件各告知処分および本件滞納処分は源泉徴収義務のないことの明白な原告を源泉徴収義務者と誤認してなされたものであるから無効であるとして、本件各告知処分の無効確認ならびに金一六九、八六四円の還付を求める原告の請求は理由がない。
三、原告は、また、本件第三告知処分のうちには一部二重処分である部分があるから、その部分は無効であると主張するので、この点について判断する。
成立に争いのない甲第一号証および第三号証ならびに、証人増田数生の証言によると、本件第一告知処分に関する源泉徴収所得税決定通知書(甲第一号証)には原告が昭和三〇年六月に芸能人に対し金一五〇、〇〇〇円の報酬を支払つたものとしてこれに対する源泉徴収所得税金一五、〇〇〇円および源泉徴収加算税金三、七五〇円を徴収することを決定した旨の記載があり、また、本件第三告知処分に関する源泉徴収所得税決定通知書(甲第三号証)にも、右と同旨の記載があること、しかし、原告は昭和三〇年六月の例会において福沢アグリビのソプラノ・リサイタルを催し、その報酬として金一五〇、〇〇〇円を同人のマネージヤーである新芸術家協会の責任者魚住源二に支払つたほかには、同月中に芸能人に対し報酬等の支払をしたことのないことが認められ、右認定に反する証拠はない。したがつて、右各決定通知書の記載に基づき判断すると、本件第一告知処分と本件第三告知処分とは原告の昭和三〇年六月における支払報酬金一五〇、〇〇〇円に対し重複して源泉徴収所得税および源泉徴収加算税の納税の告知をしたことになり、この点において右両告知処分のいずれかにかしがあることになる。(成立に争いのない乙第一号証の一ないし八、第二号証の一ないし三、証人増田数生、同吉岡茂、同早坂真実の各証言を総合すると、横浜中税務署長は本件第三告知処分にあつては原告が昭和三〇年六月に催した福沢アグリビのソプラノ・リサイタルの報酬として魚住源二に対して支払つた金一五〇、〇〇〇円について源泉徴収所得税金一五、〇〇〇円および源泉徴収加算税金三、七五〇円の徴収を決定し、その旨決定通知書(甲第三号証)に記載し原告にその納税の告知をしたこと、しかし、本件第一告知処分にあつては原告が昭和三〇年九月に催した朝吹英一の木琴リサイタルの報酬として同人のマネージヤー吉田のぼるに支払つた金一五〇、〇〇〇円について源泉徴収所得税金一五、〇〇〇円および源泉徴収加算税金三、七五〇円の徴収を決定したものの、その決定通知書(甲第一号証)には誤つて同年六月に原告が芸能人に支払つた報酬金一五〇、〇〇〇円に対し源泉徴収所得税金一五、〇〇〇円および源泉徴収加算税金三、七五〇円を徴収する旨記載してこれについての納税を原告に告知したことが認められるが、右各決定通知書の記載を対比しても本件第一告知処分の決定通知書(甲第一号証)の右記載が単なる誤記であると認めることはできないから、原告の昭和三〇年六月における支払報酬金一五〇、〇〇〇円に対し二個の告知処分があつたものと解すべきである。)しかし、そのかしがいずれにあるにせよ、源泉徴収義務者がある月に芸能人に支払つた報酬に対する源泉徴収所得税および源泉徴収加算税の納税告知処分は常に一度に行なわねばならないものではなく、たとえば芸能人に対する報酬の支払が二度にわたつてなされていて、はじめその一方の報酬支払につき納税告知処分をしたところ、のちになつて他の一方の報酬支払の事実が判明してさらに納税告知処分をする場合もあり得ないわけではないから、前記認定のように、本件第一告知処分と本件第三告知処分とがいずれもその決定通知書において原告の昭和三〇年六月における芸能人に対する支払報酬金一五〇、〇〇〇円をその対象としているように記載されていたからといつて、これによつて右両告知処分が二重処分であるとも即断し得ないわけであつて、したがつて前記かしの存在は明白であるとはいいがたい。そうであるとすると、本件第三告知処分には一部二重処分である部分があり、右処分はその限度において無効であるとの原告の前記主張も採用できない。(なお、かりに本件第三告知処分が原告主張のとおり一部無効であるとしても、前記乙第一号証の一ないし八によれば、横浜中税務署長が本件滞納処分によつて原告から徴収した金一六九、八六四円は原告の昭和三一年二月ないし四月分源泉徴収所得税および源泉徴収加算税合計金一六九、八一九円に充当され(金四五円だけは未充当のようである。)、昭和三〇年六月分のそれには充当されていないことが認められるから、いずれにしても右還付請求は理由がない。)
四、よつて、原告の本訴請求はいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 高林克巳 小笠原昭夫 石井健吾)